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瀬田東まちあるき のサイトへようこそ

古くて新しい街瀬田東をご案内します。

瀬田東について

滋賀県大津市の東部・瀬田の中で最東部に位置し、となりは草津市南笠東や笠山になります。7世紀の製鉄遺跡や製陶遺跡があるのどかな街である一方でショッピングセンターもある人口流入地域でも...

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山ノ神遺跡

山ノ神遺跡  663年近江国大津へと遷都しました。大津宮はたった5年間だけの都でしたが、これを契機に瀬田丘陵では奈良時代に至るまで、その豊かな森林...

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源内峠遺跡

源内峠製鉄遺跡 私たちが生きる台地にはいろんな歴史があります。 663年「日本」という国が誕生したころのこと、ぞれまでは朝鮮半島からの供給に頼っていた鉄を国内で...

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八坂神社

八坂神社 1673年(延宝元年)京都金座・銀座の役人6人が膳所藩に新田開発を願い出た。1676年わずか3年で33町余り(33.1万平方メートル)の新田開発を完了させ大萱新田村...

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新福寺

新福寺  宝国山清浄光院新福寺「浄土宗」1673年の大萱新田村の開村に備え縁心寺(膳所)の差配により常善寺(草津)の別園であった塔頭(たっちゅう)「新福寺」という古い寺号を譲り受...

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月輪寺

月輪寺  この寺は安永2年(1773年)開村者の一人長野助右ヱ門が大和大峰山に登り「役の行者」の古儀を招来し東海道と浜道との交差点(中筋)で、村の中心地であったところに堂...

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月輪大池と龍王神社

1673年(延宝元年)京都金座・銀座の役人6人が膳所藩に新田開発を願い出、それに伴い溜池が構築され1675年に完成。1800年(寛政12年)大池改修時に龍神の祠を建...

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源内道(外内道・紫香楽街道)

源内道げんないみち(外内道げないみち・紫香楽街道しがらきかいどう) 天平13年(741)奈良街道とともに開かれた道で、江戸、明治時代に、上田上の人が京都、大津、瀬田や...

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水取喧嘩場(分水場)

水取喧嘩場(みずとりけんかば)・分水場 この場所は、伝えによると江戸時代、大萱石拾山と月輪側の谷水を、月輪側の上丸尾池と大萱側の中丸尾池と下丸尾池へ分水するところで、...

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雨乞地蔵

雨乞地蔵(あまごいじぞう) 石拾池(いしひろいけ)~通称 大萱大池と下長尾池の間の台地にある小さな地蔵さん。昔、下長尾池~通称 地蔵池の中から出土したといわれておりま...

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石拾池

石拾池 この池は、享保21年(1736)膳所藩主本多公の許しを経て、村全体の用水の絶対量を確保するため、流出される土砂を避ける砂どまり池、水の勢いを止めるため...

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