山ノ神遺跡

 663年近江国大津へと遷都しました。大津宮はたった5年間だけの都でしたが、これを契機に瀬田丘陵では奈良時代に至るまで、その豊かな森林資源を基にして、須恵器や鉄作りが盛んに行われるようになりました。
 ここ山ノ神遺跡でも、国づくりに携わる人々のために、様々な種類の須恵器を大量に焼くようになります。日常品である茶碗や皿・水甕(みずがめ)以外に、硯や陶馬、鈴、陶棺、さらには寺の大棟を飾る鴟尾(しび)まで焼いていました。遺跡に残されたものは全て失敗作ですが、当時の生活を知る貴重な手がかりを私たちに伝えてくれます。
 草津市の野路小野山製鉄遺跡、大津市の源内峠遺跡と共に「瀬田丘陵生産遺跡群」として国の史跡となった今、大津市では史跡整備のため、国の補助金を利用して土地の公有化を進めていますが、全てを公有化するにはまだ10年以上かかりそうです。そこで、平成26年度から28年度にかげて大津市と瀬田丘陵生産遺跡群復元実行委員会が共に協力して、整備までの間多くの人達に貴重な遺跡があったことを知ってもらうための復元作業が実施されました。工房小屋、鴟尾を焼いた窯の復元、ジオラマの作成と、創意工夫をこらして目で見てわかるすぼらしい復元となっています。