石拾池

この池は、享保21年(1736)膳所藩主本多公の許しを経て、村全体の用水の絶対量を確保するため、流出される土砂を避ける砂どまり池、水の勢いを止めるための空池、ため池の三段構造にし工期や費用を少なくするために谷間に築堤(現在のダム方式)されることになり、元文2年(1737)8月本多公より手伝い人夫が5日間816人提供され、領主・住民が一体となり完成した。
この池の水利範囲は広く、途中池を経由しながら3km先の琵琶湖まで流されて潤いました。