水取喧嘩場(みずとりけんかば)・分水場

この場所は、伝えによると江戸時代、大萱石拾山と月輪側の谷水を、月輪側の上丸尾池と大萱側の中丸尾池と下丸尾池へ分水するところで、各池の水確保の為に農繁期の干天時は、双方水の取り合いでお互い水路を深くしたり、水路へ進退を横にして水をせき止め我田引水をしたと言われている。また逆に大雨の時は池が危険であるため土のうを積んで水を相手側に流したことから喧嘩場と言われている。

道沿いに立て札がありますが、現在「水取喧嘩場」は危険なので入ることはできません。

水取喧嘩場