月輪寺

 この寺は安永2年(1773年)開村者の一人長野助右ヱ門が大和大峰山に登り「役の行者」の古儀を招来し東海道と浜道との交差点(中筋)で、村の中心地であったところに堂を建て 「行者堂」と称してお祀りした。
 その後、文久3年(1863年)十四代将軍徳川家茂が上洛の途上の際に休憩され、二条城で月輪寺の寺号と歌の額を頂いた。これ以後 「普門出月輪寺」(曹洞宗)と呼ぶようになつた。額の裏には、「松の色こずえ(梢)の春やますかがみ月の輪寺の名にのこるらむ」と詠まれていた。
 旧東海道に面しており、大津宿と草津宿の中間にあるとこらから近くに「立場」や「御茶場」もあり、旅人の休憩所として使用されました 。
大名、皇族、文人の書画がたくさん残っています。なかでも慶長四年有栖川宮熾仁親王や和宮も立ち寄られています。また、明治天皇が立ち寄られた時の碑があります。